Take it easy.

えすあいあー



前を向けとは言うけど

2年経った。

少し心境や体調面等、変わってきたこともあるので色々書いてみようと思う。
抽象的な表現が多いかもしれない。

1年目まで

亡くなってから1か月頃から不眠症状が出て薬か酒飲まないと寝られなかった。

これが本当につらかった。
亡くなった原因も分からないし、義実家からの謂れの無い攻撃もあってか答えの無い問いや考えが頭の中を駆け巡るだけだった。
自分の中で結論付けられるものは何もないんだから。
他のことを考えようにも、頭も体も全く言うことを聞かないってこういうことだったんだ・・
って思いながら横になるしかできなかった。会社ははじめ行ったけど、数日で無理だと悟った。
無理な時は無理で良いと思う。

どうしても寝られない日は夜3時間とか4時間とか歩いたり走ったりもした。
これは一定のストレス発散にはなったけど、それでも寝られない日もあった。

・・生きていくってことがあんなに辛かった時期はもうないと思うし、そう思いたい。

それでも3か月、半年と時間と共に身の回りの物の整理や、思い出の整理、
いろんなものを少しづつ整理していきながら日々を過ごした。

整理も簡単じゃなかった。
葬儀から帰ったら彼女が生きていた当時のまま、二人で生活していたままの家に一人で戻るんだから。

  • あ・・洗い物しなきゃとか
  • 歯ブラシどうしようとか
  • 捲られたままのベッド上の毛布とか

挙げたらキリがない。生活の痕跡そのものを片付けていく行為自体が辛かった。

思い出の整理だってそうだ。亡くなった原因含め、腑に落ちる物事なんか何一つなかった。
納得はできないが理解するしかなかった。

亡くなったことや、これから一人で生きていかなければならないこと、いろんなことは理解しているものの、
夜寝つく時に泣けてくることもあるし、夢の中で泣いている時もあった。
夢の中で嫁さん出てきて、「よかった、死んだのは夢だったんだ」って言ってるのはもう、感情を一言では言い表せないくらい辛かった。

それでも1年を過ぎたころから、睡眠薬無しでも寝られる日が増えてきたし、そんな夢を見る機会も減ってきた。
意味もなく、当時住んでいた場所に寄ってしまうことも多かったけど、長時間散歩したり走ったり、色々なことをこなしながら、ただ生きていた。
けれど、それでも、それだけで良かったんだと思う。

2年が過ぎて


1年と2年で大きく何かが変わったかというとそうでもない。
強いて言えば、泣く頻度は下がってきたと思うし、睡眠薬はいらなくなった。

もう一人なんだってことを完全に理解し始めていたと思う。

けれど、自分以外の他人からしたらこの事はとっくに過去のことなんだろう、
「前を向け」とか「次にまたいい人が・・」と言われる機会も増えてきた。
早い人は2か月後とかにもう言ってきてた。黙れよって思ってた。


前を向くって何なんだろう、前って何だろうって考え始めたのはこの時期だったかもしれない。
妻が亡くなったことは一生抱えていかないといけないことで、犬や猫が死んだ訳でもない。軽いものではない。

入院前には旅行を楽しみにしていた彼女の顔を忘れることはできないし、一緒に酒飲みながら将来の話だって頻繁にしていた。
そんな人が亡くなった。未来が無くなった。

で・・次?
自分はそんな気持ちにはなれなかった。
今だって毎日3回お水とお線香を挙げているけど、このことを考えなかった日はあれから一日だって無い訳なんだから。
自分にとっては現在進行形なんだってことが周囲に伝わらなかったこともあるんだと思う。


確かに、家族連れを見て、本当なら・・と思うことだってあった。
公園で小さい子供を見て、良いなぁと思うことも今だってある。
でも、自分がこの先この出来事とどのように向き合い続けるか、それが先なんだと思っている。


そりゃ誰かが近くにいてくれたら良いよ。
でも、まだその人の方を向けないと思った。多分これが前を向けないってことなのかなって、そうも思えた。
そんな状態はその誰かに対しても失礼なことだって思う。

そんなことばっか考えたら1か月や半年、1年があっという間に過ぎて2年になってた。

ただ、そういうことを毎日考え続けて時間が経ったら、いつか気持ちの整理がついてるのかなって、少し思うようにもなってきた。

彼女のことを忘れたくないという気持ち、自分だけは忘れてはいけないという気持ちはこの先も変わらないと思う。
忘れずに、きちんとこの事を持ち続けて、一人でも生きていくことができたら、
それが前を向いているってことなのかもしれない。

今はそういう風に考えることができるようにはなってきた。